一般的な日本人なら、短く見積もっても6年は英語を勉強している。
でも、読解力、会話力、どちらの面でも十分なレベルとは言えない。
なぜだろう。
大ネット時代だし、そんな研究はとうにされているのできっとググればオープンな文献は出てきますよね。
かくいう私も、英語は頑張ったほうだと自負していますが、まだまだビジネス英語(そもそも、「ビジネス」の英語ってなに。日本人は「ビジネス日本語」が話せるの?)だとか、ネイティブレベル(に達する必要があるかは、私も議論的ではあると思うが)への道のりは長く感じています。
読書をしていてふと思いついた見解は、文字の違いではないか?というものです。
大きく分けて、
日本語: ひらがな、カタカナ、漢字の3種
英語: ラテン文字の1種
で文字のやり取りがなされています。
ここに、ひとつの壁があるのではないかと思われます。
3種類の文字を使い分けている日本人はそれぞれがどんな場面で用いられるか感覚的に知っている。
例えば、「感覚的に知っている」という文、「っている」だけを見て意味を推測しないはずです。
加えて、漢字は元来、絵や風景を文字化したという説もあります。
ということは、単に左脳だけではなく、右脳の働きもあって瞬間的に漢字の持つイメージを感じ取っているのではないか?かんじだけに。
それに対し、英語は子供向けの文も、論文もラテン文字のみ。
大文字、小文字の違いはあれど、基本的に1種類の文字だけで完結しているので、3種類の文字を操り、意味イメージを想像しながら読解する日本人にはハードルが高いのではないか。
そう考えると、日本語の契約書、論文、新聞のような比較的難解な文章を流し読みしても要点だとかおおよその流れを掴めますよね。
でもこれを英語でやると、なかなか容易ではない。
受験英語の時にスキャニング、とか、キーワードリーディングみたいな、要点だけを拾い英語長文問題のテクニックがありましたが、そのテクニック自体にも慣れが必要だったり。
(今思うと、このテクニックに頼りすぎてリーディングは苦手です、要点はわかっても詳細を覚えてないとか。。)
そんな違いが、英語力の向上を妨げているのではないしょうか。
英語学を専門にやったわけではないので、あくまで推測ですが。
もしかしたらラテン文字にも、漢字みたいな由来があるかもしれないですね。
そもそも、ラテン文字以外も使ってるよ!とか。
これがわかったからと言って、こう勉強しよう!という提案もないですが。
ふと思ったので、書いてみました。
そういう研究や勉強をしていて、異論・反論があったら聞いてみたいです。
賛成意見ももちろん。
あ、そういえば、高校の時に、文脈に変化を起こす単語や熟語(反論ならbut, however、結論ならas a result, in conclusionなど)に△とか○印をつけて視覚化すべし、って言ってた塾講師がいたな。
実際、これはかなり効果的で、印をつける一回目の読解でも、読み直す時でも目印があって自分なりに分かりやすくなった。短い時間制約の中、多めの問題を解かなければならない、英語で有名な難関私立大の試験でも役に立っていた。
でもこういうテクニックを覚えすぎるのも問題で、そんな印をつけながら新聞読まないでしょ?web記事読んでる時はどうするの?って話よね。
受験英語は英会話の基礎になってると今でも思うし、事実海外に行ったことないのに、それなりにネイティブの先生と会話できていたし。
あくまでテクニックはテクニック。頼りすぎもまた障害になると思います。
やっぱり視覚化、イメージを頼りに文字情報を認知しているのは日本人特有なのかな。